新私の哲学の方法(相対的存在)
生まれたとき、すでに与えられているものがあり、それを分析することが出発点であると前回の記事で書いた。以前に「「分かる」とは「分けられる」ことである」とも書いたことがあるが、すでに与えられている対象を「分ける」ことで「分かる」のである。それが「分析」するということである。そして、分けられるためには、その分ける相手が必要である。つまり、何か異なるところがある相手が必要なのである。異なるところがなくては分...
View Article新私の哲学の方法(出発点)
私が生まれた時、すでにこの世界はあった。そして私もこの世界の中にあった。私が感じて相対的に世界もあったとも言える。それが「事実」である。疑えばいかようにも疑えるが、何も無ければ疑いようもない。それがどんな世界であろうと、その世界は相対的に私を存在させている。その世界がどんな世界なのかと、誰もが思うとは思うが、それが良い世界であろうと悪い世界であろうと、それが「事実」であることは認めざるを得ない。過去...
View Article価値観を哲学へ Ⅴ
絶対的な価値観はあり得ない。価値観というのは個人の好みだからだ。なぜそうなのか、それは個人に与えられている欲望には個性があって、 一致した価値観というのは部分的でしかあり得ないからだ。多分この意見には反対が沢山あると思う。 「人類全体に通用する価値観」「全体でないにしても大体傾向がある」 「国家の憲法にしても、オーケストラの音色、スポーツチームの特徴など」...
View Article再度、お知らせ
先に「ブログ移転のお知らせ」という記事を書いていますがURLが間違っていました。正しいのは「https://shachihoko7.blog.fc2.com/」です。ついでながら、このFC2のブログは、不自然な表示になっていますが、現在、FC2に問い合わせ中です。過去記事は読めますが、新しい記事の入力ができないのです。
View Articleブログ移転のお知らせ
ブログを下記に移転しました。本日以降は下記FC2ブログのみで記事を書きます。ブログタイトルは「心と言葉、時々音楽」です。私のニックネームは「極楽トンビ」です。URLは「https://shachihoko7.blog.fc2.com/」です。他にアメーバブログでも仮のブログを開設していますが、開店休業状態です。近々本格的に活動する予定です。Twitterでも哲学の記事は見られるはずですが、まだ始めた...
View Article人間に何ができるか(改訂版)
「何ができるか」を考える前に、最初から与えられているものがある。「人間に何ができるか」でも述べているが、「本質」を探す場は、すでに与えられているこの世界であり、この「本質」を探す主体も、好むと好まざるとにかかわらず、最初から与えられている「自分」なのである。この与えられている主体が、与えられているもの(対象)に疑問を感じているのである。だからまずは、その与えられているそれを知らなければならない。それ...
View Article人間に何ができるか Ⅰ
「哲学とは何か」という問いにひと言で答えるなら、それはさまざまな物事の「本質」をとらえることだと言うことができる。この上の文は世界観と人生観の区別がなされていない発言と思われるが、ここでは世界観に限った問いに受け取りたい。従来の哲学では、この世界に分け入って「本質」となるものを探すのであるが、そのためにはまずはこの世界を受け入れることが必要である。でなければ、世界に分け入って「本質」となるものを探す...
View Article「而二不二(ににふに)」
仏教用語に「而二不二(ににふに)」という言葉があります。 「而二不二」とは、「而二」と「不二」の二つの言葉がくっついたもので、二つであって二つでない という意味です。 「而二(にに)」とは、一つのものを二つの面から見ることで、「不二(ふに)」とは、二つの面があっても、その本質は「一つ」である、ということです。(ブログ「正心寺」より 紫花大慈師)例えば、岩瀧山 往生院六萬寺 川口...
View Article「言葉」について Ⅵ
人とのコミュニケーションのとき「言葉」を使うとしても、 そのとき「言葉」は人(相手)に何を伝えているのだろうか。 こういう疑問に答えようとするのが、哲学ないし言語学の意味論である。 言葉の意味については、諸説があるが、 私は言葉の意味を、他の言葉と相対的に位置づけしている考えている。 言葉の意味が相対的に形成されているということを説明するのに、もっともよい方法は、...
View Article自由意志 Ⅱ
自由意志とは、自己の判断をコントロールすることができるという仮説である。専門家の間でもよく見られる誤解は、自由意志を行為の自由と混同することである。人間による一連の活動は、(1)意志によって、(2)行為が発生し、最後に(3)結果が生じる、という形で一般化される。自由意志の問題とは、いわば「どのように思うか」が、自由であるかについて直接的な問いかけをするものであり、意志の成立過程を対象とするものである...
View Article新「言葉」について Ⅴ
パラドックスとされる実例は沢山あるが、最も典型的なものはラッセルのパラドックスと言われているものである。しかし、記号を使った集合論はなかなか理解は難しい。張り紙のパラドックスと言う親しみやすい例で言うと、「張り紙禁止」という文だけを見ているとパラドックスは感じないが、この文を書いてある張り紙を見るとパラドックスに見えてくる。禁止している筈の張り紙をしているわけでパラドックスになるのだ。具体的に説明す...
View Articleなぜ私は私なのか Ⅰ
「なぜ私は私なのか」という問いの意味は、簡単に言えば、世界中に沢山の人がいるし、今までに数多くの人が生まれそして死んでいる。それにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この私なのか?」という疑問のことのようだ。そしてその問には数多くの答えが出されているのであるが、その代表的な答えが独我論から出た説である。「この世界はすべて私が見ている夢のようなものである」というのである。つまり他者などそもそもおらず、...
View Article目的 Ⅳ(新版)
「目的Ⅲ」では自分と他人(社会)との関係について書いたが、ここでは自分と道具との関係について書きます。人間は自分の目的を他人にお願いしてしてもらうほかに、道具を使って目的を果たすこともできる。今話題の「こんまり流片付け術」は、これまで使ってきた道具の整理についての片づけ術なのだが、もともとその道具にも人間の目的が付加されている。一緒に目的を果たすために働いてきた道具であり、当然、愛着もあり別れるのは...
View Article理由 Ⅱ
Goo辞書によれば「理由」とは、1物事がそうなった、また物事をそのように判断した根拠。 わけ。子細 (しさい) 。事情。例「健康上の理由で辞職する」2いいわけ。口実。例「風邪を理由に休む」3哲学で、論理的関係においては結論に対する前提、...
View Articleなぜ私は私なのか Ⅱ
「なぜ私は私なのか」という疑問は、「なぜ体の内側から見えている人間は自分だけなのか」という疑問に置き換えられる。体の外側は自分とは別の世界であると自覚できているのである。体の外側、例えば「なぜ宇宙があるのか?」とか「なぜ世界があるのか?」とか...
View Article新「言葉」について Ⅳ
古来、「言葉」とそれが示している「対象」との関係について、いろいろの議論がされてきたが、現在なお、その結論は出ていない。しかし、その結論がどうであろうと、その間人間の歴史は発展してきている。素朴実在論というのがあるが、それは一般的に人間が生活する上で前提としている立場で、この世界は自分の眼に見えたままに存在しているとする考えである。ジェームズ・ギブソンが主張した「直接実在論」やプラグマティズムの立場...
View Article新「言葉」について Ⅲ
物や事や心と対応する「単語」があり、その単語を組み立てて「文」をつくる。その「文」になって初めて状況が表現できる。ここで初めて「言葉」がシステムとして扱えるようになる。システム論というのは、生物や人間社会の仕組みも構造体としてとらえるもので、二次元的にあるいは三次元的にとらえられる。複雑系とかホーリズムなどの理論もシステム論と考えてよいと思う。...
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